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劇団たんぽぽ 五十年のあゆみ

一九四六年
長野県の篠ノ井市(現長野市)で結成した「信濃芸術座」を翌年に改組し、小百合葉子主宰の児童劇「劇団たんぽぽ」として発足。一九五〇年に松本市へ移るが、長野県を中心にした公演活動は、戦後の廃墟と化した東京をはじめ、静岡、岐阜、神奈川へと演劇教室の輪を広げる。
一九五三年
小百合葉子の故郷静岡県浜松市元魚町に劇団道場を新築、移転する。
読売児童演劇祭に、唯一の地方劇団として参加。奨励賞受賞。
一九五五年
劇団創立一〇周年公演。この年、文部省から児童劇団としてはじめて公益法人格が許可され、社団法人教育演劇研究協会が設立される。
一九五六年
公演班は二班になり、待望のオート三輪改装車という機動力も得て、中部圏中心の公演エリアを一気に東海、上信越、北陸と拡大して行った。こうした中で、たんぽぽの児童劇運動に共感し、その実状を知ったいすゞ自動車社長からマイクロバスが贈られ、劇団活動に拍車がかかる。
篠ヶ瀬町に本格的なステージと客席を備え、劇団員全員が共同生活できる新道場を建設する。
一九六三年
静岡県初の文化奨励賞、日本児童演劇協会奨励賞を受賞。
この年、沖縄公演の実現にむけ奔走中、新築して間もない劇団本部道場を全焼、致命的な打撃を受ける。だが小百合は「道場は焼けてもたんぽぽは焼けない」と起きあがり、日本中の子どもたちから送られてくる励ましの手紙に、勇気づけられる。
劇団本部は、地元後援者の鈴木初蔵氏の御厚意により、氏の旧家をそっくり無償で拝借。また、多くの支持者の方たちによる「再建激励公演」が開かれ、沖縄公演を敢行。百数十日におよぶ離島公演を行う。
一九六四年
東京班が誕生。公演班は三班体制となる。
一九六五年
劇団創立二十周年記念公演。NHKテレビ『劇団たんぽぽ』、二十年が放映される。
一九六六年
北海道事務所を新設。文部省、北海道教育委員会、北海道新聞社の後援のもとに北海道公演がスタートする。
沖縄では、現地の若い人たちで結成した劇団「沖縄たんぽぽ」が誕生、翌年には、琉球政府文教局に、沖縄教育演劇研究協会が認可される。
一九六八年
劇団たんぽぽ北海道後援会、発足。
東京班のリーダー千葉隆三の死去によってたんぽぽ東京班は本部に吸収合併する。
一九六九年
北方領土国後島への、望郷の思いにかられる祖父を描いた小学生の作文に感動した小百合は、村越一哲氏に脚本を委嘱『岬』の公演は、北海道を皮切りに日本縦断公演に入るが、現在では考えられぬほどの論議をよぶ。
一九七○年
『たんぽぽとともに二五年−この世に生きた証を』(小百合葉子著・あすなろ書房)を刊行。
一九七二年
長野事務所を設置する。
一九七五年
小百合葉子のナレーションによるテレビ静岡/制作『トピアの船−ある夏の思いで』が、芸術祭で優秀賞を受ける。
劇団創立三十周年記念公演には地元遠州の伝説に取材した、かたおかしろうの『起きっせい!だいだらぼっち』を上演。一九七八年には文化庁創設十周年表彰を受け

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